海と大地、食材、仲間、
ここで一緒に花開こう。
インバウンドや修学旅行生でにぎわう神奈川の古都、鎌倉。
駅西口の御成通りに入ってすぐの脇道にそれると、途端に静かな住宅街になる。
まさか、こんなところにレストランが? 
古民家の軒に「BeBè」の文字、ベンチにはウエイティングのお客さんが何人も。
店の正式名は「Latteria Bebè Kamakura(ラッテリア・ベベ鎌倉)」。
イタリア語でラッテリアは乳製品を取り扱う店の意味で、べべは赤ちゃんだ。
窓ガラス越しに見える工房で、真っ白なチーズを手にしているのが
店の代表を務める山崎大志郎さん。
レストランの厨房中央にある石窯でピッツァを焼くのが兄の健太郎さん。
兄弟は、10代の頃からサーフィンで慣れ親しんできた鎌倉に
2015年、チーズ工房とイタリアンレストランを開いた。
ミルキーでジューシー、毎日生まれるべべ
大きなステンレスの桶に、シュレッド状の生地と90℃の塩水を入れ、太鼓ばちのような棒でグルグルと練り混ぜる。生地はカード(イタリアではパスタ)と呼ばれ、生乳を加熱殺菌して乳酸菌とレンネット(凝乳酵素)を順に加え、豆腐状にかためて角切りにし、ホエイ(乳清)を排出させたものだ。それをマシンにかけて細かく切ってある。
次第に糸状になった生地を包み込むようにして、最後は一塊にまとめる。
それを両手でつかみ、湯船の手拭い坊主みたいに(←昭和の人にしか通じない表現だが、とても似ている)、親指と人差し指の輪の上に一定量を押し出してちぎり取り、水槽に落として冷ます。
真っ白に輝く、ぷっくりもっちりとしたモッツァレッラのでき上がり。
ちぎり取ることをイタリア語でモッツァーレといい、それがチーズ名の語源だ。こうした一連の作業を、リズミカルに手早く行う山崎大志郎さん。
「ミルキーでジューシーに仕上げるため、生地の状態により湯の量を微調整し、ツヤが出て“今だ! ”という練り上がりのベストタイミングを見極めています。赤ちゃんの肌みたいでしょう。この立ちのぼるいい匂いも。毎日、生命が誕生するような、そんな新鮮な喜びがある。それで店名を“ベベ”にしたのです」
モッツァレッラをベースに展開されるのが、ストラッチャテッラとブッラータ。
ストラッチャテッラは「引き裂く」という意味で、モッツァレッラを引き裂いて生クリームとあえたものだ。ブッラータは、モッツァレッラを手のひらサイズの平たい円形にのばし、ストラッチャテッラを具にして、点心の肉まんを包むのと同じ要領で口を閉じ、ひも状にしたモッツァレッラで巾着のようにしばる。
「当店では多くの料理にチーズを使うため、くどくなり過ぎないよう、ストラッチャテッラの生クリームは脂肪分38%のものを使っています。が、ブッラータはブーロ(バター)に由来する名前で、とろけるような食感と濃厚さが特徴のチーズなので、包む際に40%の生クリームを少し注いでコクをプラスしています」
食べ頃は製造の翌日だが、1週間日持ちする。時間の経過により、生クリーム入りのものはより濃厚な味わいになるそうだ。
生乳は横浜市瀬谷区の相澤良牧場から週4回、朝4〜5時頃に調達する。これを63℃で30分の低温殺菌にし、先の3種類のチーズや、リコッタ、マスカルポーネ、カチョカヴァッロを製造している。
プーリアで見つけた、自分らしく生きる道(弟)
山崎さんはなぜ、チーズ職人の道を選び、兄の健太郎さんと組んで鎌倉に店を開いたのだろうか。
「僕たちは鎌倉市に隣接する横浜市栄区で育ちました。2人ともサーフィンが好きで、鎌倉には頻繁に遊びに来ていました。海だけでなく、街の雰囲気も昔から好きでしたね。僕はサーフィンやりたさに、横浜でバーデンダーの仕事をしながら、昼間は鎌倉の海へという生活を20代前半まで送っていました。マイペースな人間で、しかしさすがにこのままでは将来が見えない。その頃、腕の立つシェフの仕事を目の当たりして衝撃を受け、料理の力ってすごいなと。自分も真剣に料理を学びたいと思い、横浜で、フレンチの「ラタトゥイユ」やオーガニックレストランの「草木土」で働かせてもらいました。本場も見たくなり、イタリア、フランス、スペインを3カ月間旅しました。
特にイタリア料理に惹かれ、帰国後は鎌倉のイタリアンで働き、その頃には住まいも鎌倉に移しました。再びイタリアを旅し、なぜだか南のプーリア地方が僕にはものすごくフィットしました。素朴な料理や温かい人の気質、土地から感じる空気感……すべてが心地よかったのです」
サーフィン好きは今も変わらず。大志郎さんは6年前よりブラジリアン柔術も打ち込んでいる。
イタリアワインの卸売や飲食店を展開する「エル・カミーノ」が新たに開いたトラットリアでプーリア料理を提供するシェフの座を得たものの、ほどなくして「知らないから当然、行き詰まった」。山崎さんは再びプーリアへ飛んだ。
「最初は料理学校に入り、パスタやチーズの工場、オリーブ農場などを回ったり、スターシェフと一緒に料理を作ったりしました。その後はレストランで働いていたのですが、そろそろ帰国を考える時期になり、このまま日本に帰っても、イタリア修業経験の豊富な料理人があまたいる中、人とは違う自分らしい何かを身につけなければ埋もれてしまうという焦りを感じました」
そこで、頭に浮かんだのがチーズだったという。プーリア特産のチーズにはストラッチャテッラやブッラータがあり、モッツァレッラも南イタリアのチーズである。そうしたフレッシュタイプのチーズを買うため、ボウル持参でラッテリアへ行くマンマ(お母さん)をたびたび目にしていた。鍋を持って豆腐屋に買いに行く、かつての日本の光景と重なった。
日本で作りたての新鮮なチーズを提供したい。そして、ナポリスタイルのピッツァイオーロ(ピッツァ職人)を目指して修業中の兄と組んでレストランを開けば、自家製チーズのピッツァや料理を提供できる。「将来が見えた」瞬間だ。
プーリアのチーズ工場で研修し、帰国後は神奈川・伊勢原にある「柏木牧場」の乳製品製造部門での経験を経て、都心のチーズ工房として有名な「CHEESE STAND(チーズスタンド)」でフレッシュチーズ製造の全工程に携わり腕を磨いた。毎朝始発で鎌倉から渋谷へ1年通ったそうだ。
シンプルで奥が深いナポリピッツァにしぼる(兄)
一方、健太郎さんはというと、弟と同様、20代はサーフィンをライフスタイルの中心に置き、夕方から深夜にかけて飲食店の厨房で働く日々を送っていた。波を求めてオーストラリアで暮らしたこともある。
「僕も何か自分の武器となるものが欲しいと思い、ナポリピッツァにしぼりました。シンプルな材料で、薪で焼く原始的な調理。おこがましいかもしれませんが、そのアナログ感が自分の性格に合っている気がしたのです。突き詰めていくと奥が深いことも魅力でした」
「真のナポリピッツァ協会(AVPNジャパン)」にコンタクトを取り、その紹介で山形・鶴岡のイタリア料理店「穂波街道 緑のイスキア」で3年、ナポリピッツァの修業を積んだ。本場ナポリでも短期間研修。東京・新橋「ピッツェリア テルツォ オケイ」でピッツァイオーロを務めていた頃、大志郎さんから「鎌倉で一緒に店をやろう」と誘われたそうだ。
「弟とは仲がよい関係だからこそ、いったんは断りました。ビジネスになるとうまくいかなくなるかもしれないと思ったので。しかし、弟はもう一緒にやることが大前提という感じでしたね。それで僕も東京から鎌倉に移住しました」
後編-----
不動産業者を介して出会った物件は駅から徒歩2分の好立地ながら、鎌倉に詳しい彼らですらも知らなかった穴場。開業から今に至るまでの歩み、そして魅力の料理を紹介する。