ー 10代の頃から海外への関心が強く、好奇心のおもむくまま、行動に移してきた和知さん。自分の店を開業してからも、その精神は変わることなく、世界の食について、より深掘りしていくことなる。
いくつになっても知りたい欲求を持ち続けたい

ひらまつグループの新店でカジュアルな大箱店「アポリネール」のシェフを1年務めた後に退社し、1998年、銀座「グレープ・ガンボ」のシェフに就任する。オーナーの故・勝山晋作さんが世界各国のワインをセレクトし、BGMは彼の好きな70年代のロックやジャズ、ブルース。それに合わせ、和知さんもスパイスや調味料を駆使して世界各国のテイストを取り入れた料理を作った。いま思い返しても、かなり斬新な店だった。
その3年後に「マルディ グラ」を独立開業した際も、グレープ・ガンボ時代から続くピンチョスや、炭と薪を使ったあぶり焼き、タジンなど、日本でブームとなる前に提供している。
それぞれの店の開店前にはニューヨークやヨーロッパに1カ月ほど行き、食べ歩いたという和知さん。グレープ・ガンボを辞めた翌日にはフランス行きの飛行機に乗っていたほど、フットワークが軽い。
当時は各国のトレンドレストランを食べ歩くことが比較的多かったが、以降は希少な食材の産地やよりディープな土着料理なども求めるようになり、旅先は中南米、アジアなどに広がっていった。もちろん国内も同様だ。
「今なら、スコットランド北部のハイランドへハイランド牛を食べに行きたいし、ミャンマーの発酵食品も知りたい。もはや不可能で残念ですが、ロシアやウクライナの食文化にも直接触れたかったですね」

無類の調理グッズ好き。これは鳥取刃物鍛治のペティナイフで、柄はヤマザクラ。入荷まで1年待ったそう。
「ローカルのキヨスクのような場所で売っているペラペラのレシピ冊子も好きで、よく買います。その土地の日常的な食生活がわかっておもしろいんですよ。そうそう、アメリカ西海岸に行った時に、僕の本を持っていた現地のシャルキュトリ関係者がいたんです。昔から洋書を買い求めてきた自分からしたら、本当にうれしい出来事でした」
和知さんは、旅で得たものをそのまま日本で再現しようとか、流行らせようとは思っていない。人一倍の好奇心や探究心で、ただ純粋に、それぞれの本場や源といわれる場所に行き、見て食べて感じたいのだ。その蓄積と脳内での咀嚼を経てから、マルディ グラ流の一品が生まれ、あるいは日本の第一次産業から飲食店に至るまで各分野でのアドバイスとして還元されている。
「年齢を重ねるにつれ、人に教えることばかりになりがちですが、いくつになっても知りたい、学びたいという欲求を持ち続けることを大事にしたい。旅はそれが得られる最たるもので、もし億劫に思うようになったら、 “自分、やばいよ”という警告でしょうね」
名物のフライドポテトを封印

コロナ前までは平均して年2回は海外へ行っていたという。店の休暇中だけでなく、営業をまかせて留守にすることもあった。不安はなかったのだろうか。
「世界の名だたるレストランの有名シェフも、常に店にいるわけではない。店はチームで営業するものであり、オーナーシェフがすべての皿を作る必要はないと思っています。ただ、そのためにはまかせられるスタッフがいてこそ。いない時期には海外に行けません」
「ゆとり世代の料理人は、厳しさに慣れていないのはもちろん、マルチタスクが苦手な人が多いと感じます。基礎を知らずにいきなりアレンジ料理の世界に飛び込もうとする傾向もありますが、それでは後で苦労する。彼らにどう伝え、育てていくかは、僕にとって大きな課題ですね」
グレープ・ガンボ時代、『美食術』(ジェフリー・スタインガーデン著、文藝春秋刊)に書かれていたフライドポテトのエッセイをヒントに「トスカーナフライドポテト」を考案、マルディ グラでも爆発的人気を呼んだ。じゃがいもに強力粉をざっくりまぶし、ハーブとともにゆっくり揚げる料理で、後にその源流であるトスカーナのルッカの店に食べに行ったが、自分のレシピのほうがクリスピー感が強く、美味しさに自信が持てたという。しかし15年ほど前にメニューから外した。
「すべての席からオーダーが入る毎日でしたが、その人気にしがみつくのは嫌なので、あえて封印したのです。ただ、コロナ禍のテイクアウトでは提供しました。今後は開業月の9月だけ復活メニューとして毎年出すのもおもしろいかもしれないと思っています」
コロナ禍では、最初にハンバーガーやトスカーナフライドポテトなどのテイクアウト販売を行った。多くの飲食店が慣れないテイクアウトに乗り出し、食中毒対策に不十分な傾向も見られた中、入念に注意を払い、夏前にはやめた。店ではカツレツやビフテキなどの洋食を主に提供。「人々が不安な気持ちになっているので、洋食のまろやかな味でホッとしてもらえるのではないかと思ったから」という。
ソース・エスパニョールを見直してブラッシュアップしたり、パン粉はそれまでバゲットをすりおろしたものだったのを、有名なとんかつ店が使うものに替えたり、近所の民芸品店で洋食に合う器を選んだり。経営的には苦しかったが、さまざまなことを試したという。
気持ちに寄り添う料理とサービス

—— あなたにとって"美味しい"飲食店とは?
「“心のよりどころになる店”ですね。“映える”ことが先行する時代になり、作り手もそれを意識せざるを得なくなっていますが、そういう料理にはどこか温度がないように感じるのです。見た目は美しいけれど、心に熱が伝わってこない。冷製・温製の意味ではなく、想いの温度です。
一方で、シェフの我を押しつけるような独りよがりの料理も、食べる側としては少し疲れてしまう。料理を囲んで友人と会話を楽しんだり、カップルが愛を語り合ったりする —— そんな気持ちに寄り添える料理やサービスのある店に魅力を感じますし、自分の店もそうありたいと思っています」
「仕事で泣いたことがあるか」という質問も投げてみた。修業時代のくやし涙や、成功した時のうれし泣きを想定していたが、和知さんの答えは意外なものだった。
ある日、死期を間近にした方が最後の晩餐としてマルディ グラを選び来店された。塩や砂糖を使わないなど細かい制約がある中で、少しでも美味しさを感じてもらえるよう、きのこでだしを取るなど工夫を凝らした。その時、涙をこらえながら料理を作ったという。
時に、料理人は人の命に寄り添う役割も担っているのだ。