革新×本質的な魚屋が 明石の魚の魅力を発信していく

革新×本質的な魚屋が
明石の魚の魅力を発信していく

2025.08.05



古来、「明石の鯛」「明石のタコ」は特別だと言われてきた。明石海峡を境に、砂地が多い播磨灘と、磯がある大阪湾に分けられる珍しい海域で、エビやカニなどの良質な餌が豊富。浅瀬が多く魚の産卵場所に適していることから多種多様な魚が集まってくるうえ、明石海峡の激しい潮流にもまれて生育するから旨みが強くなるのだ。

出張料理人の岸本恵理子さんは、明石の魚を扱う「つる一」の鶴谷真宜さんから取り寄せているが、「全国各所から魚介を手配しているけれど、たしかに『つる一』さんの鯛やスズキ、鱧は鮮度が抜群で格別においしい」と言う。その味の秘密を知りたくて、岸本さんと一緒に明石浦漁港を訪ねた。



明石浦漁港の競りのスタートは11時。深夜から朝方にかけて帰港した船からおろした魚たちを、漁師自らがサイズや状態などで仕分けする。漁協には大きな生け簀が設置されており、疲れた魚たちを海との温度差に慣らしつつ、さまざまなテクニックを使って休ませる。この“活け越し”と呼ばれる技術によって、競りにかけるまでになるべくよい状態にするのも明石浦漁港の特徴だ。

「やっぱり明石って良い魚だというブランドなので、価格は高めです。だからこそ、漁師さんたちも丁寧に扱う手間をかけるし、僕らもいい魚だと思ったら高値でも買いますね」と鶴谷さん。明石のプライドが垣間見える。


いざ競りが始まると、競りの専門用語と合図の応酬は見事な迫力だ。この日は時化の影響で上がりが少ないとは言え、鯛、サワラ、一本釣りのスズキ、イカ、おこぜなどが目にも止まらぬ速さで競りにかけられていった。買う人は一瞬にして魚を見分け、価格が見合えば購入。競り落とした魚は、漁港脇の生け簀へ運ばれる。



「明石浦漁協とほかの漁協とのいちばんの違いは、生きている魚を売ることですね。だから僕らの選び方も普通とはちょっと違うかもしれない。例えば時化のときでも売る魚がなくならないよう、5日間は元気に生きているような魚を選びます。肥えているとか、形がきれいとかそういうことは当たり前で、そのうえで生命力があるものを選ぶわけです。瞬時に鱗一枚まで見極めて。そして買った魚は、なるべく急いで生け簀へ持って行きます。だから“日本一走る漁港”って言われてる(笑)」

生け簀は低温の“循環生け簀”と、海水を循環させている“垂れ流し生け簀”と2種類があり、魚種によって使い分けている。

「魚たちは死に物狂いで逃げてきたわけですから、やっぱり疲れてるんですよね。魚の筋肉にはATP(アデノシン三リン酸)という物質があって、これが旨み成分であるイノシン酸の素なんです。筋肉の収縮や運動のエネルギー源でもあるため、魚が暴れたりストレスを感じたりすると、ATPが消費されておいしくなくなってしまう。だから生け簀でしばらく休ませるんです」

よく聞く「神経締め」は、この魚のストレスをなくし、できる限り質を落とさないために行う処理だ。

「神経締めは魚の神経を破壊することで、ATPの消費を抑える技術です。脊髄に沿って針金を通して神経を破壊すると、魚の死後硬直が遅れて鮮度が長持ちするわけです」



「つる一」のスタッフは、驚くほどの手早さで魚の脳を破壊して脳死状態にしてから、神経締めの作業を施していく。そして心臓のポンプ機能を利用してパーフェクトな血抜きをする。

「やっぱり明石の魚はその場で明石の海水で処理をするのが、いちばん鮮度高く保てるんですよ。海水掛け流しの漁協で作業できることも、僕らのメリットですね」

「神経締めの魚をいつも使っているけれど、自分で処理を体験するのは2回目。作業自体は単純だけど、間違いなく手早く行うには技術の熟練が必要ですね」と岸本さん。

こうしてプロフェッショナルの技を次から次へと見せてくれる鶴谷さんだが、この業界に入った当初は「明石浦漁港でいちばん買えない人」だったそうだ。

「魚屋としては3代目なのでここで魚を買う権利は持っていたけれど、父の代まではいわゆる普通の街の魚屋さん。市場の問屋さんで魚を買って売っていて、たまに漁港に来ていたくらい。だから、競りでのやり取りや魚の締め方、売り方などはすべて独自に身につけたものなんです。最初は全然買えませんでしたね(笑)」

高校を卒業したときは料理人を目指し、日本料理やイタリアンレストランで働いていたものの、結婚を機に家業を継ぐことに。しかし当時は大型ショッピングセンターなどが登場し、商店街が危機を迎えていた。



「昔ながらの小さな魚屋では成り立たなくなっていました。それでなりふり構わず、それまで買いに行っていた問屋さんに売ってみようと思ったんです。まずは漁港で仕入れた魚を売りに行ったら、『じゃあ、明石浦で買ってきてくれ』『漁師から直接買ってきてくれ』なんて注文を受けるようになりました」

料理人としてのキャリアもあるため、シェフから「アクアパッツァにしたい」と言われれば、おすすめの魚を提案することもできる。鶴谷さん独自の方法が実を結び、経営は順調に伸びていった。

だがしばらく続けていくうちに、疑問が生まれてきた。どんなにいい魚でも、たくさん獲れたときは相場価格が下がってしまう。漁師の労力も、料理屋が買う価格も変わらないのに、仲買人だけが得をするシステムはおかしいのではないか。



「漁師の友人も増えてきて、そんな仲買人だけが得をするシステムをなんとかしたいって思い始めたんです。いいものはいい値段で買いたい。そのうえで、漁師が100匹とった魚の10匹だけが特等品だったとしたら、残りの90匹の価格もなるべく守りたいと思いました」

「いいものがわかる人に、いいものを直接売りたい」。そこで鶴谷さんがとったのは、突然、東京の星付きレストランへ飛び込み営業することだった。

「友人に教えてもらった『日本料理 龍吟』さんに、『明石の魚屋です』っていきなり営業しに行ったんですよね。そしたら僕が開発した“抜群締め”の鯛のおいしさを認めてくれたんです。

そこから料理屋さんとの直接のお付き合いが増えて行って、今はお客さんのほとんどが料理屋さんです。実はたまたま“マキシム ザ ホルモン“(ロックバンド)のTシャツを着ていたので、『魚じゃないじゃん、ホルモンじゃん』って笑ってくれて仲良くなれたところもありますが(笑)」

今は、漁港で買い付けた魚、契約している漁師さんに頼んだ魚などを、立ち飲み居酒屋からハイエンドなファインダイニングまで、さまざまな飲食店に卸している。



「価格に糸目はつけないから最高の魚を、とすべての飲食店が求めているわけではないし、漁師さんがせっかく獲ってきたものが無駄になってしまうのは嫌。上質な魚介が揃う漁協ではありますが、未利用魚や小魚など、後回しにされてしまう魚ももちろんあります。競りで残った魚は基本的に漁協が買い取るんですが、僕もできるだけ買うようにしています」

あまりに小さなものをのぞいて、ほとんどの魚は鶴谷さん流の下処理を施してから販売するため、最高級でなくても鮮度とおいしさは抜群。

「最初の頃は元手も少ないので、思うような商売ができなかった。次にもっといいものが出てくるかもしれない、と思うとなかなか手が出せないし、キリまで買う余裕もありませんでした。それから少しずつ成長して、ある程度の量を買えるようになってからが、やっと商売になったという感じですね」

鶴谷さんの最終目標は「明石の魚の魅力で、明石に人をたくさん呼びたい。世界中の人に明石の魚を食べてもらいたい」ということ。

そのためにさまざまな試みにトライしている。神経締めとはまったく別の方法で処理する「抜群締め」もその一つ。試行錯誤中に偶然、発見した締め方で、食べてみたら、もっちり、ぷりんとした新食感だったという。

鶴谷さんが独自に開発した抜群締めは、脳死させず、神経締めを施してから、そのまましばらく活け越しする方法。運動機能だけを麻痺させることで、死後硬直しない身の柔らかさと熟成させたような旨みが手に入る。


「たくさん噛みたくなる食感で、噛んでいるうちに魚の香りや風味がたってくる。これは旨いと好評をいただいていて、世界料理学会でも発表しました。今はその論理を分析しているところです。うちのスペシャリテは、ここぞと見定めた上質な魚を“抜群締め”にしたものですね。まずは一度食べてみてください」

明石の魚のおいしさを最大限に引き出すために、今持っている技術と知識を駆使してさらなる高みを目指していく。そしてそれを広めるためのユニークな企画も、じっくりと温めている様子。将来が楽しみで目が離せない「日本一の魚屋」がここにあった。



ライター 藤井 志織 / カメラマン 衛藤 キヨコ

つる一

兵庫県明石市の魚屋。現当主は3代目となる鶴谷真宜(つるたにまさのり)さん。生粋の明石生まれで、高校を卒業して大阪北新地の料亭やイタリアンレストランなどで料理修行。2000年頃に家業を継ぐも、スーパーマーケットとの競合によって個人商店が危機を感じる時期だったこともあり、仲買人に転向。飛び込みで出会った漁師や東京のレストランとの縁がつながり、現在に至る。