地域に根ざして40年以上。 有機野菜をもっと身近な存在に

地域に根ざして40年以上。
有機野菜をもっと身近な存在に

2025.06.27

循環有機農業に憧れて 小川町で就農

 

都心から約1時間ほどの埼玉県比企郡に、里山に囲まれ、清流が流れる自然豊かな小川町という町がある。有機農業が盛んなオーガニックタウンとして知られ、2023年には「オーガニックビレッジ」を宣言。

その有機農家の先駆者の1人が「風の丘ファーム」の田下隆一さんだ。

「A RESTAURANT FOODS」が取り扱う食材は、実際に食材と向き合い、食材からインスピレーションを得ている料理人のためのもの。そこで今回は、レストラン「Eme」のシェフである武藤恭通さんと、出張料理家の岸本恵理子さんと一緒に「風の丘ファーム」を訪れた。



出身地は東京だが、若い頃から「広々としたところで働きたい」という希望があり、一時は北海道で酪農家を目指していたそうだ。

「19の頃ですからね、なーんにも知らなかったんですよ。1年半ほど働いてみたけれど、自分で牛や牛舎を手に入れる資金を工面するのは到底無理だとわかって諦めました」

そこで東京に戻ってしばらく会社勤めをしていたものの、「北海道の庭畑で自家用につくっていたじゃがいもやトマトは、香りが強くておいしかったな」としきりに思い出す。

また、物流の仕事を通して社会の一端を知ることで、「ものを流すよりもつくる仕事がしたい」という想いが強くなっていった。「仕事が暮らしであり、仕事から暮らしをつくっていくことができる農業っていいなぁ」と考えていた頃に出会ったのが、小川町の「霜里農場」だった。

「霜里農場」は、小川町が「有機の里」と呼ばれる原点をつくった農場である。まだ有機農業が一般的ではなかった1971年から、農場主の金子美登氏は農薬や化学肥料を使わず、微生物の働きを活かした土づくりによって作物を育てる有機農業を手がけてきた。

家畜は雑草や害虫を食べ、その糞を堆肥にするという循環農業でもあった。収穫物の販売は市場を通さず、消費者に定期的に農作物を届けるという「提携」の仕組みを広げ、有機農家の経営基盤を確立したことも功績と言えるだろう。

その有機農業への信念と情熱は多くの人の心に響き、有機農業の研修と実践に取り組む人が小川町に増えていった。海外からの研修生もその心意気にほだされ、子どもの名前に「カネコ」とつけた人もいる。やがてその輪が広がり、有機農産物の生産量が確保できるようになると、有機米を使った酒や有機大豆でできた豆腐、醤油などのオーガニック商品も開発されるように。

それら特産品の販売によって、地域経済も活性化していった。今では「霜里農場」も小川町も、世界中から注目を集めている。

人材育成にも力を入れてきた「霜里農場」は、これまでかなりの数の研修生を世界各国から受け入れているが、田下さんはその2期生だったのだ。今でも師匠として尊敬しているのは、創設者の金子美登さんだと言う。

「酪農の仕事で体力はついていたし、1年間の研修でだいたいの流れを学べたので、独立・就農しました。42年前のことです。当時は新規就農者への支援なんてほぼなかったから、最初は畑を借りるにもひと苦労。師匠が知り合いに声をかけてくれて、田んぼ1反、畑3反を借りることができました」

独立と同時に結婚し、妻の三枝子さんとともに「風の丘ファーム」を運営。6年ほどして今の土地と出合って本拠地を移し、現在に至る。

丘陵に囲まれたのどかな土地。水。獣害はあまりなく、カラスなど鳥対策をするくらい。畑の畔を歩くたびに、ショウジョウバッタが飛び交う。

平地が少なく、中山間地域に位置する小川町は、もともと耕作に有利な土地ではない。日本で少量品目を大量に生産する野菜産地は、火山灰土であることが多い。火山の噴火によって降り積もった火山灰が風化した土壌は別名「黒ボク土」とも呼ばれ、水はけがよく、通気性に優れているのが特徴。柔らかい土質なので大根やカブもきれいな肌に育つ。

しかし比企丘陵や台地に囲まれた小川町は、河川によって運ばれてきた山の土砂によって構成されている「沖積土」。水はけが悪く重いために野菜の見栄えは悪くなりがち。だがその分、ミネラルが豊富で濃い味わいになる。豊かな森林資源と、恵まれた水資源こそが、小川町の野菜の味を形づくっているのだ。

「隣には日本一暑いと言われている熊谷市があり、ここも日中はかなり暑くなります。でも冬の夜にはマイナス8℃まで下がることも。つまり年較差が20℃以上と大きいんですね。このストレスが野菜の甘みを増してくれるんですよ」


土づくりからリビングマルチまで 自然に寄り添った農法を

 

この土地で42年間、農業を続けてきて感じているのは、自分ではコントロールができない農業の難しさと、土をつくることの大切さ。

「お天気商売ですからね、あと少しで収穫というときに、台風ですべてが吹き飛ばされたり、いいものがたくさん採れたと喜んでいても、豊作ゆえに値が下がったり。一生懸命やっていても、自分の力ではなにもできないことがたくさんある。特に気候危機の今は、これまでになかったようなことがいろいろ起きるから予測がつきません」

近年の温暖化によって、初夏に旬を迎える野菜の収穫期が例年より早くなってきているそうだ。

「こんなに梅雨が短いのは初めてですから、夏野菜が心配ですね。数年前の日照りのときは、貯水池が枯れて田んぼがひび割れたりもしたので。台風でも来てもらわないと、と思ってしまうくらい」

環境に負荷をかけたくないから、マルチや誘因結束テープも生分解性素材をチョイス。いつも携帯しているハサミは、収穫や剪定に使うため。自身で研いで手入れしている。


田下さんが大切にしているのは、すべての土台となる土づくりだ。

「農業はコントロールがきかない大変な仕事だけど、自分が真面目に取り組んだことが結果につながる仕事でもある。殺虫剤を使わないから虫を見つけたら取り除くとか、日が当たるように誘因するとか、こまめに手をかけることも必要です。だけどしっかりと土づくりをしていれば、野菜が勝手に育ってくれるところもある。長くやっていれば、ある程度、手が抜けるところもだんだん覚えてくるんですね」

土づくりに欠かせない堆肥は、隣町の堆肥工場のものを使用している。

「以前は近くの畜産農家から糞尿をもらってきて堆肥をつくっていましたが、ホルモン剤や抗生物質、重金属などが残留しているかもしれないと気になってきて。東日本大震災の後は放射能の数値を測定していましたし、より安全なものを、というお客さんの想いに応えたい。それで10年以上前から、スーパーマーケットから出る生ゴミなどの食品残渣や籾殻などを発酵させている堆肥を使っています。追肥が必要な夏野菜には、非遺伝子組み換えの国産なたねの玉締めの油カスを近所にある『米澤精油』さんから買って、米糠と合わせたボカシをつくって施しています」


「おいしい!」でつながる関係が 農家に喜びと誇りをもたらす

 

農家としてのいちばんの喜びは、おいしい野菜ができたとき。そしてそれを卸している飲食店や消費者の方々が喜んでくれることがやりがいになっているという。

取材に同行した、エメシェフの武藤さんと、出張料理人の岸本さんに、ピーマンやモロッコインゲン、トマトなど、その場でもいで食べさせてくれる田下さん。
「嫌なクセがまったくない、とてもきれいな味わいの野菜ですね」と武藤さん。「田下さんとお話していると、野菜の味や畑の印象とそっくりだなと感じます」と岸本さん。


「食べてくれる人との関係は近いほうが、やりがいにつながります。最初に使ってもらったレストランでは、生産者とお客さんとの交流会を開催していたんですよ。食べてくれた人の声を直接聞けたし、大切に扱ってもらえていると感じてうれしかったですね。そこから紹介してもらったお客さんも多いんです」

田下さんは、いい野菜はそのまま、または蒸したり焼いたりするだけでおいしいと考えている。野菜の味がダイレクトに伝わる調理をしてくれたらうれしい。だけどプロの料理人は、さらにバージョンアップした味を引き出してくれることが多いから、野菜を育てた本人が「こんな味になるんだ!」と驚くことも多いそう。

「やっぱり旬の露地ものがいちばんおいしいと思いますね。うちのイチオシは、冬のほうれんそうやにんじんかな。寒暖差があるなかでゆっくりしっかりと育つから、土の中からいろいろな栄養を吸収してくれる。寒すぎて見栄えが霜で傷んでしまっても、食べてみると甘さがのっていて、青々ときれいなものよりもおいしかったりするんですよ」

春は端境期なので収穫作業は少ないけれど、種まきや植え付けがあって忙しく、夏は熱中症との闘い。秋は気候もよく、収穫物が多いから気持ちにゆとりがあるけれど、冬は車の中で温めながら作業するほど、手がすぐにかじかんで痛くなる。手が痛くなくなってきたら、「春がきたな」と思う。こうして季節は巡っていくけれど、どんな季節も農家の仕事は体力仕事。

田下さんはいつも朝の5時前に畑に出て、朝から収穫をする。7時頃にほかのスタッフがやってきて、8時頃、自宅に戻って朝食をとる。また作業に戻り11時に全体ミーティング。スタッフが少ない日は出荷作業を手伝ったりもするが、たいていは畑で野菜の管理や草刈りをする。13時に昼食をとったら、18時頃までまた畑仕事。朝が早いので、夕食を食べたらすぐに眠る。

「畑が広くて忙しいので、お昼は手をかけないシンプルなものばかり。野菜をいっぱい入れた味噌汁とご飯、あとはおかずが12品があるくらいです。たいてい野菜を焼いて、塩、胡椒を振るくらいの簡単なもの。お米も味噌も自家製だし、野菜は採れたてだし、それで十分おいしいんですよ。いちばん好きなのは、じゃがいもと絹さやの味噌汁。この二つの野菜の収穫時期が重なるのは、6月のいっときだけだからレアなメニューだね(笑)」

スーパーで野菜を買っていると、旬がわからなくなってしまいがちだけど、「風の丘ファーム」はすべてが露地栽培だから、収穫物で季節の移り変わりが感じられる。

「みなさん、枝豆は夏のものだと思っているでしょう。でもビールのお供にしようと夏に採れるよう品種改良されたのは最近のことで、本来の旬は10月なんですよ。

大豆の収穫期が11月ですから、その若い状態を食べる枝豆は10月に収穫するわけ。中秋の名月を見ながら枝豆を食べるから、豆明月なんて言われてたものです。今も、だだちゃ豆とか丹波の黒豆の枝豆なんかは10月に出るでしょう。うちでも在来種の大豆は10月に旬を迎えるので、その時期に毎晩どんぶりいっぱい枝豆を食べています」


有機農業の担い手として、食の未来を考える。

 

プライベートの楽しみは温泉に行くこと、野球を見ること。3人の孫と遊ぶこと。そんな田下さんに将来の夢を聞いてみた。

「農家になった目的は、自給自足したいという夢でした。収入だけを考えたら、1〜2種類の野菜を大量に生産する専門農家のほうが効率的。でも銀行に反対されても、少量ずつ多品種をつくり続けているのは、もともとが自給自足を目指していたからです。小川町では有機農家が増えてきて、地域がしっかりしてきたなあ、地元の食を支えているなあという実感がある。だけど、日本の自給率は心配ですね。自国のものを食べていける国を目指さなきゃと思っています」

国内で消費される食糧のうち、国内で生産されたものの割合を示す指標である食糧自給率は、日本は先進国の中でもかなり低い水準とされている。その要因は、小麦や肉の消費が増加したなどの食生活の変化もあるが、主には高齢化や後継者不足による農業従事者の減少。生産者と消費者、政府が一体となって取り組む必要があるのだ。

「今の米不足騒動を見ていても思いますが、後継者を育てながら国の食料をつくり続ける体制を国が作っていかなきゃいけません。小川町でも15ヘクタールの田畑をやっている人たちはほとんどが70代ですからね、遊休農地、耕作放棄地も増えています。このままでは食料が足りなくなってしまう。輸入に頼るだけでは不安ですよ。輸出用の食料となると、食べる人のことなんて考えていないと思うしね。

顔がわかる関係でのやりとりは安心・安全だし、安定して野菜が手に入る。これからも有機農家を目指す人を育成しながら、生産力のある有機農業を広めていきたいと思っています」 




ライター 藤井 志織 / カメラマン 下屋敷 和文

風の丘ファーム

埼玉県小川町にある農業生産法人。社名は、風光明媚な土地で就農したことからの命名。農薬や化学肥料を一切使わず、有機肥料のみで年間約70品目の野菜や米、麦、大豆などを栽培している。生産物を委託加工し、ジュースや麦茶などの加工品も販売。小川町有機農業生産グループの一員として、地域全体で有機農業を推進し、有機農業を目指す人への研修も受け入れている。