大掛かりな模様替えやリフォームをすることなく、空間の雰囲気をがらりと変えられるとしたら? それを叶えてくれるのは、壁に飾る一枚のポスターだ。味気なかった壁に表情が生まれ、空間全体も立体的なニュアンスが感じられるようになるから不思議なもの。ポスターのほとんどは何かを宣伝するために作られたものだから、絵画や写真作品よりもカジュアルな存在。だから主張しすぎることなく、インテリアとしてすっと馴染む。
そして、いざポスターが欲しいと思ったとき、頼りになるショップがポスター専門店「ナップフォード・ポスター・マーケット」だ。世界中から集めたラインナップと感度の高さには目を見張る。
ショップがオープンしたのは10年ほど前のこと。最初は弟の井上慶太さんがオーナーとして事業をスタートさせ、兄の恭太さんに声が掛かり、手伝うようになったそう。「ポスターに注目したのは、弟がきっかけです。DIYが趣味で、自宅の内装を考えていたとき、壁がなにか物足りない、と感じたのがきっかけでした。ポスターを飾りたいけれど、なかなか見つからない。そんなときに、知人が海外から取り寄せたという話を聞いて。そういうことができるなら、日本にポスターカルチャーを広げていきたいと考えたんです」
ナップフォードという店名は、当時、甥っ子がよく観ていたアニメ「機関車トーマス」に出てくる架空の駅名。「いつかナップフォードにお店を出せたらいいな」という甥の想いが込められているという、微笑ましいエピソード。
扱っているポスターは、古い映画から、海外の美術館の展覧会や無名のアーティストの個展、ロックスターのライブなど、ジャンルはかなり幅広い。
「もともとアートに詳しかったわけではないんですが、弟はWEBデザインが本業だったこともあり、一緒にポスターについて調べ始めたらなんとも興味深くて。最初はオンラインショップだったのが、二人で実店舗を構えるようになり、弟が奥さんの家業を継ぐことになったので、今は私が一人で引き継いで運営しています。
私たちが好きなのは、グラフィックが格好よいことはもちろん、時代の空気が感じられるもの。特に好きなのは、フランス版の映画のポスターですね。アメリカ映画でも、フランスで上映されたときのポスターの表現が好きなんです。また、マティスやピカソといった有名な画家の絵でも、そこに展覧会が開催されたときの年代や開催場所が書かれているところに、ポスターとしての面白さがあります。フライヤーやインビテーションなどもそうなんですが、エフェメラといわれる広告物全般は、そのときのためだけに作られたもの、という貴重さがいいんですよね。後世まで残していきたいと思います」例えばミックジャガーの88年の日本でのライブのポスターは、シルクスクリーンでアンディ・ウォーホルが作成した“Bad boy”シリーズがモチーフになっているが、テキスト部分に東京ドームの昔の呼び名「BIGEGG」という文字が入っている。そんな時代性を発見するのも見どころのひとつなのだ。
ラインナップのなかには日本のポスターもあるが、買い付けは主にフランスやドイツ、イタリアなどヨーロッパ。
「最初の頃はなにもわからなかったので、現地に到着して1、2日はとにかく街を歩き回って探していましたね。ヨーロッパは古くからアートが根付いているので、小さなギャラリーがあちらこちらにたくさんあって、若い無名のアーティストの個展を開くときにポスターを作ってカフェなんかに配るんですよ。私たちはギャラリーを訪ねて古いそれらを見せてもらったり、コレクターを訪ねたり、専門店に行ったり。ヴィンテージの紙ものってたいてい折りたたまれて積み重なっているから、なにがどこにあるのか素人目にはまったくわからないんですけどね(笑)」
こうして独自に開拓してきたルートがあるから、今は必ずしも海外に行かずとも買い付けができるようになった。
「10年積み上げてきたコネクションのおかげです。今もフランス映画のポスター専門店にお願いしたものを楽しみに待ってるところ。約束の期日にも届かないのがフランスですけど(笑)。ただ、掘り出しものを見つけられるのは、現地だからこそ。以前、デンマークでヴィンテージの家具屋さんにふらりと入ったら、ペア・アーノルディというアーティストのリトグラフの大判ポスターがあったんです。グラフィックも色合いも素晴らしくて、見つけたときは鳥肌が立ちました」
好みのものを探すのも楽しいけれど、届いた包みを開けるのもうれしいひとときで、「古い紙の匂い、全貌が見えたときの興奮、最高です」と話す井上さん。ポスターを飾った壁を後ろにしたときの「気配を感じるのも好き」というから、筋金入りのポスターマニア。
日本では今もポスター専門店は数少ないけれど、手の届くアートとしての注目度は上がるいっぽう。
「この10年で、ポスターが好きな人が増えた実感はかなりあります。ポスターカルチャーが日本に根付いてきたと考えるとうれしい反面、私たちがSNSで紹介していることの情報が利用されてしまうこともあるかもしれません。個人でもネットで簡単に手に入れられる世の中ですから。でも将来、より額にこだわってみようとか、マニアックなものを探したいと思ったときが専門店の出番かなと。今は種まきの状況だと思って、地道に続けていくのみですね」
10年続けるなかで変わらずにモットーとしてきたのは、インテリアとしてのポスター。「基本的に額装してからのお渡しを提案しています。額装ってポスターの魅力がより引き立つ重要なポイントだけど、手間がかかるし、慣れないとなかなか選べないもの。私は額をポスターに合わせる瞬間が好きで、これだ!とハマったときの充実感がたまりません。10年前から変わらずデザインを重視してポスターを選んではいますが、今は印刷のディテールや色のニュアンスなど、より細かいところまで深掘りするようになりました。10年前と同じポスターを手にしたときに『見方が変わったな』と感じましたね」
2年前に父になったことで加わった視点もあるとか。
「子どもが喜ぶポップな色のものが目に入るようになりました。自宅にも飾っているんですが、息子が『(ポスターが見たいから)パパの会社に行きたい』って言ってくれるのがうれしくて。親が与えている洋服やおもちゃなどの色と、彼自身が選ぶ色がまったく違うことも多く、人の好みってそれぞれで面白いなと感じています」
ARFでは、豊富な品揃えのなかから、飲食店に合うものを厳選して紹介している。例えば日本ではそれほど著名ではないドイツの前衛アーティスト、ルドルフ・エングラートのポスターは、楽譜を思わせるようなリズミカルな構成とミニマルな色使いが魅力。限られたスペースでも、洗練された印象をもたらしてくれる。
ピカソと共にキュビズムの創始者として知られるフランスの画家、ジョルジュ・ブラックのポスターは、代表的な鳥のモチーフをあしらったもの。コンテンポラリーで落ち着いた空間にもよく似合うはずだ。
はたまたアンリ・マティスの切り絵モチーフを用いたポスターは、1960年代のドイツの美術館での「画家と本展」を知らせるもの。晩年の挿画本作品 『ジャズ(Jazz)』 から引用されたもので、空間に明るいざわめきを演出してくれそう。
「レストランやビストロであっても、基本的には家に選ぶ感覚と同じでOK。ただし、個人的な部屋よりも、空間に対するテーマ性が強くなるかもしれませんね。今回は『メジャーであることよりも、さりげなく飾れるような粋なもの』をARFとして提案したいというご要望に合わせて揃えました。
よく知られているアンディ・ウォーホルの絵を用いたものでも、チケットの絵をちぎったみたいに配してデータをあしらっていたり、力強いドイツのフォントが組み合わされていることで、アメリカンポップアートとはまたひと味違う印象になっています。どれも陽の光が差し込む明るいランチタイムでも、ほの暗いディナータイムでも似合うと思いますよ」